Loving something

yano_zeon2006-04-20

その対象のもっともしょうもない部分も含めて好きで愛せないと、何かを好きだとか、愛しているとか言えないのではないだろうか。例えば、私は不潔で躾のなっていない犬猫や子供は苦手で、清潔で躾が行き届いている場合に限って、犬猫や子供が好きだ。しかし、畑正憲のように皮膚病で小汚い野良犬でもためらわず可愛がれてこそ犬好きだと言えるだろうし、よだれを垂らしてむずかる子供を見ても可愛いと思えてこそ子供好きと言えるのだろう。そう考えると、やたらこだわって、注文がうるさい人はその対象を本当に好きではないのかも知れない。私は「・・・な女なんて耐えられない」と条件を付けるから女好きとは言えない。
『正しい保健体育(みうらじゅん)』では、

「愛はボランティアです」
「愛が無くてもセックスは出来ます」
「その人のためなら下の世話までできる、と言うのが愛です」

とあるが、これも、その対象を全て受け入れてこその愛との主張だ。
ものや趣味が相手ならば一方通行の愛でもいいけど、恋愛だと双方向の愛が継続出来ないとつらい。やっぱ、最後に必要なのは覚悟だね。