Sympathy

笑ってる人の近くに居ると笑みがこぼれてくる。泣いている人の近くに居ると貰い泣いてしまう。愚痴る人の近くに居ると自分まで卑屈になってしまう。
このような現象を共感と言い、その同調力を共感力と呼ぶ。受信能力が高い者、自我の弱い者程、共感力が高い。
私は自我が強いのだが、それでも鬱病の父と一緒に居ると、自分の心が病みそうになる。今は週末しか父と過ごして居ないからいいようなものの、来月から同居して介護等していかなければならない。うまい事ストレスを発散し、心を病んだ人間に引っ張られないようにせねば。
今日は友人に連れられて、サッカー観戦のため、スポーツバーに赴いた。自意識過剰で、常に主役で居たい性格だから、スポーツ観戦にはまったく興味がない。スポーツを観る時間があったら自分でやりたい派なのだ。
とは言え、初めて訪れたスポーツバーで、楽しく観戦&周りの人間の観察が出来た。
不思議なのは、試合の観戦そっちのけで大声を張り上げたり、太鼓を叩いている輩である。同じ場に居ればまだしも、はるか異国の地ではどんなに大音声を張り上げようとも選手達には届くまい。どうして彼らは、試合観戦そっちのけで日本コールをし、喉をからしているのだろうか。コールすることによってトランス状態に入ることが楽しいのだろうか。地方の1スポーツバーではあるが、その空間をコントロールしている気分が楽しいのだろうか。自分でやる気も参加する気もしないが、はなはだ興味深い。
そんな人達がで一杯な空間に居ると、彼らに比べて著しくテンションの低い自分に気付く。やはり、私は共感力が低いのだろうか。それなりに興味深い体験ではあったのだが、惜しむらくは椅子が足りて居なかったことと、紫煙漂う空間だったことである。2時間立ちっぱなしで、しかも燻製にされていてはいかんせん落ち着けなかったからね。