Happy?

人は誰も幸せになる権利を持つと言うし、幸せになろうと考えていることだろう。
悪魔の辞典(A・ビアス)』によると、HAPPINESS [幸福] とは、「他人の不幸をじっくり見つめることで生じる快適な感じ」を言う。
この定義に反論はしづらいが、完全には頷けない。
陳腐な慣用句ではあるが、私は、人の数だけ幸せの形があると考える。
幸せになれない人は、手の届かないくらい遠くにおいてしまっている人か、幸せについて漠然と考えいる人なのではないか。
世界征服を目指す人はそれを達成出来ない限り幸せになれないだろうし、毎日カップ酒を一杯飲めれば幸せと言う人は幸せになりやすいだろう。
また、幸せや自分を漠然と探し続けている人は、自分が幸せだと感じないことだろう。
幸せを手に入れるためには意識して

  1. 幸せの定義・目標を設定
  2. 目標を達成するための手段を検討
  3. 幸せになる活動
  4. 幸せ達成度確認
    • 成功なら幸せ
    • 失敗なら不幸だから定義・目標・手段を再設定

のサイクルを繰り返していくことが合理的だと考えられる。
さて、私の幸せであるが、人間の三大欲望を達成することを旨とする。

  • 美味しい食事
  • 快適な睡眠
  • 心地よいエッチ

この三つを高次元で満たすために人生設計を立てねばならぬ。
「美味しい食事」を達成するために必要な要素は「美味しい料理」「健康な身体」「素敵なパートナー(伴侶・家族・友人等)」であろう。となると、それなりの収入、健康、人間関係が必要となる。
「快適な睡眠」を達成するために必要な要素は「快適な住環境」「健康な身体」「充実した日常生活」であろう。となると、それなりの収入、健康、日常生活が必要となる。
「心地よいエッチ」を達成するために必要な要素は「素敵なパートナー」「健康な身体」であろう。となると、それなりの伴侶、健康が必要となる。金銭でも心地よいエッチを確保することは出来るかも知れないが、私の目指す心地よいエッチは金銭だけでは購えない。
人間一人一人が有するリソース(時間・金銭・能力・環境)は有限であるため、一点に注力すると、他に注力出来なくなってしまうから、これら全ての要素を同時に満たすのは難しい。
とは言え、これら三大欲望を満たすための手段の中で「健康」と「(自分の周囲における)良好な人間関係」は大きな要素として共通しているのだから、ここには最大限注力しなければなるまい。
他のこと、例えば収入を得るための職業も、趣味も、ライフスタイルも、伴侶も、前述した三大欲望達成のための手段であるからには最適化され合理化されていなければならない。
逆に言えば職業や趣味に尽力することによって三大欲望の高次元な達成から遠ざかるようであれば手段を再検討せねばなるまい。
はてさて、現在の私の人生は私の幸せに向かっているのだろうか。
見つめ直し、間違っていた場合には再設定しなければならない。
自分の過ちを認めるためには勇気が要るけれども、それを恐れていては幸せになれない。
多忙や環境に甘んじることなく、真摯に自分を見つめていかなければなるまい。