Punctiliously

紙幣を受け取った時に、札の向きが揃ってないと気持ちが悪く、人物を表右側に揃えないと気が済まない。釣り銭として向きがバラバラな札束を渡されたら「ダメ店」「ダメ店員」の烙印を押してしまう。レジ先でそれを揃え直してから財布に入れたいのだが、後ろで待っている人が居ると、とりあえず財布にしまって、後で直す。こんな小さいことで小さなストレスを溜めずにもっと大きな人間になりたいのだが、どうにも我慢が出来ない。
同様に、色鉛筆や絵の具が箱の中の定位置に収まってないのや、デスクトップのアイコンが未整理なのや、部屋が散らかっているのも腹が立つ。
とは言え、昔から几帳面だったのではない。小中学生の頃は普通にいい加減な子供だったし、大学までもそうだったと思う。
大学院時代、研究資料や地質試料の整理をする必要に迫られ、また、周りの院生も優秀な人間は皆ファイリングを几帳面にしていたから、自分にもそう言う習慣が付いた。やはり、人間は環境と慣れによって変化するものである。
しかして、ものを探すストレスを軽減するために始めた整理や几帳面さが、その不履行でストレスを溜めるようでは本末転倒であるとも言える。とは言え、一旦獲得した習慣や形質を再構築するのは困難だ。
次の転機は結婚時に訪れるのだろう。私の伴侶が私にストレスを与えるのか、それともストレスを軽減してくれるのか。几帳面さだけで言ったら、私の付き合う女性は大概私よりも劣る。その妥協点を探していくのは大変だろう、と考えるとついつい気ままな一人暮らしを続けたくなってしまうのだが、それではいけない。他人と調和し、家庭を築いていけるようにならねば。