Crystallization

理想の自分像を一言で言うのは難しい。とは言え、数語を費やしてかなうものでもない。一言では不十分だし、語数を増やせば、曖昧になる。漠然としたイメージはいろいろあるのだが、そのイメージ同士が矛盾無く融合できるわけではない。
とは言え、それを想像し、言葉にすることは大切な行為だ。
漠然とした思いは、純度が低い。一番核になる思いを探す作業は、鉱物を磨き、宝石にして行く作業に似ている。その時、削ぎ落とされていった思いに本当に大切なものが含まれていることもあるが、それを恐れていては、思いを研ぎ澄ます事は出来ない。
意志、志、夢、思いは、明確に言語化することによって結晶化する。
しかし、結晶化した意志を実現させようとすると、現実と軋轢を生じることも多い。
自己の絶対視が可能ならば、他の存在からの自由を得ることが可能だが、そのためには、絶対的な精神力が必要である。絶対的な精神力、言い換えれば、自己に対する自信が無ければ、意志の実現は頓挫しそうになる。
凡百な存在が絶対的な精神力、自己に対する自信を得るための助けになるのが、結晶化された意志ではないだろうか。この意志が結晶化されていないと、不純物が言い訳の根拠となってしまう。逃げ場の無い人生は確かにつらい。しかし、逃げてばかりいる人生には魅力を感じない。
だから、自分の思いを研ぎ澄ませていきたい。
日記を書く作業は、その一助になるのだろうか。