バツイチ30ans(小池田マヤ)

三十代半ばになり、周りを見渡せば、バツイチ女性も精神病患者も珍しくない。本作は、30才バツイチ女性が自分の存在意義に悩み精神症(?)に陥る話。
社会が30代女性に求める役割と責任が「嫁」「妻」「母」であるのだとしたら、その役割を担い、責任を果たしていない女性は生きにくい。そして、責任感と感受性の強いバツイチ女性は、「役割と責任」の喪失を重く受け止め、自分の存在意義を疑うと共に、自分は「嫁」「妻」「母」として失格なのかと問い直すことだろう。彼女が果たせなかったのは、あくまでも「特定男性(元夫)の嫁」と言う責任と役割に過ぎないのだし、元夫が役割と責任を果たさなかっただけなのかも知れない。しかし、結婚に自分の人生を賭けていた女性は、離婚を自分自身の存在の否定だと受け止めてしまう。
子供だって、思春期の少年少女だって、成年男性だって、中年だって、老年だって、みんな誰かに「君はそれでいいんだ」と言って欲しい。勿論、かく言う私もそうだ。でも、一番その台詞を欲しているのが、30代バツイチ女性なのかも知れない。しかして、「君はそれでいいんだ」と唱えても、30代バツイチ女性の心には届かない。バツイチ女性自身が自分を「それでいい」と思っていないから。彼女らが再び「嫁」「妻」「母」として受け入れられた時になって、ようやく、彼女らは「それでいい」と思い、「それでいい」との言葉が心に届くのではないだろうか。
主人公の恋愛相手は、35才独身、一見プレイボーイ、主人公の結婚前の恋愛相手であり、主人公が27才の頃には「40才まで遊びたい」と言って結婚を避けていた。離婚した主人公にアタックしていた彼は、主人公が精神症に陥った頃から、その内面の人間性を現出させる。そして、主人公との結婚を避けた理由が「自分自身に自信がなかった」からなのだと分かる。私も未婚なのだが、やはり自分に自信が持てないのだろうか。
小池田マヤの作品は、ほのぼのした画風とストーリー4コマの手法で読みやすいが「過去の自分も、周りの人間も変えられない。変えられるのは現在の自分だけ」なんて当たり前の台詞を当たり前に使うほどに深い。1969年生まれの作者が30才になることを契機に書かれた本作は、同時代である80年代に青春を過ごした者達に馴染みのある風景が多く描かれる。
バツイチであろうがなかろうが、精神病であろうがなかろうが、30前後の悩める女性には是非とも読んで頂きたい一冊。
そして、この本は、最終的にバツイチ女性を救えるのはバツイチ女性自身だけだと言うことを教えてくれる。全ての人間にとって、最終的に自分自身を幸せに出来るのも、不幸せに出来るのも、自分自身だけしか居ないのだと言うことと同様に。

バツイチ30ans (Feelコミックス)

バツイチ30ans (Feelコミックス)