I can't help it.

今日は特に書くこともないので、先日某嬢へと送付したメールを転載する。
これだけ読むと嫌味ったらしい説教じみた男みたいだが、この前段階で、彼女が遅刻やドタキャンを繰り返していると言うことを分かって欲しい。なお、一部、プライバシーに関する部分については改変した。

自戒の意味も込めて、忘れないうちにメールします。

「謝らない」と「しょうがない」と「同じ過ちを繰り返す」

この三つのキーワードについて、昨日不満を述べましたが、実は、この三つは全てつながっているのです。

「謝らない」について

何故、君は謝らない(自分の非を認めない)のでしょうか。
それには、いろいろな理由が有ります。
例えば、謝るのが癪なこと。
例えば、自分の非を認めるのが嫌なこと。
例えば、そのことに触れないでおくことにより相手がそれを忘れることを期待すること(少なくとも私に対しては無駄ですが)。
例えば、他人に迷惑をかけていることに気付いていないこと。
例えば、相手の心情を推し量っていないこと。
しかし、最大の理由は、相手に迷惑をかけた原因が「自分の非」だと思っていないことです。

「しょうがない」について

例えば、仕事で考えてみましょう。何らかの理由があって、約束(契約)が守れなかった場合に発する言葉は、「申し訳ありません」ですね。どんな理由であれ、約束(契約)を守れなければ、それは「非」なのですから。謝罪した上で、その理由を相手に説明したら、相手はその理由を「しょうがない」と認めてくれるかも知れません。しかし、それを判断するのはあくまでも「約束を破られた側」です。約束を守らなかった側が、「・・・だったからしょうがない」と言っても大概は反感を買うだけです。相手がそれを許してくれるのは「好意」と「同情」「打算」によりますが、謝らず、自分の非を認めない相手に「好意」を持つことは希ですし、勿論「同情」もして貰えません。
では、何故、謝らない人を許さないのか。それは、謝らない人は、同じ過ちを繰り返すことが多いからです。

「同じ過ちを繰り返す」

君は何故、同じ過ちを繰り返すのでしょうか。それは、過ち(過失)を自分の非だと認めていないからです。自分がしたことも、自分の周りで生じたことも、全て「しょうがない」と唱えることで、無意識のうちに「だから自分にはどうしようもない」と置き換えているのです。「どうしようもない」と認識していれば、自分を責めることはありませんから、楽に無責任に生きていけます。しかし、自分を責めずに過失の再発が防止出来るわけはありません。その原因がどんなに「しょうがない」ことであろうと、そのツケを他人に回さないようにするあるいは、かける迷惑を少なくすることは出来るはずです。また、「しょうがない」ことにもパターンがありますから、頻出するのならばその再発防止は不可能ではありません。
ところが「自分の非ではない」との意識がある人は、「しょうがない」ことが発生した時点でその対策を取ることも、再発防止策を取ることもしません。まったく持って無責任です。そして、それによって迷惑を受ける人に対して「しょうがない」と伝えるのです。

自己責任

このように「しょうがない」と自己責任を放棄する人物は、幼児的であり、一人の人間として信頼や尊敬を得ることはできません。
ほとんどの人は、全ての責任を負って生きていけるほど強くありませんから、誰でも大なり小なり、非を認めたがりませんし、謝りたくもありません。
しかし、負けず嫌いの人のことを考えてみましょう。
「負けたくない」から「負けを認めない」人と、「勝つように努力する」人が居ます。私は、「負けを認めない」人に魅力を感じません。
同様に、「謝りたくない」から「過失を認めない」人にも魅力を感じません。「過失を生じないように努力する人」になるためには、過失を過失だと認識し、過失が生じた際にはちゃんと謝ることが大切なのではないでしょうか。
きっと君の周りに居る人を考えた際に、君が嫌いな人は「負けを認めない人」、「自分の過ちを認めない人」ではないでしょう。

だから

とりあえず、お互い、素直に「御免なさい」が言える人になりましょう。
また、すぐに「しょうがない」と思考放棄をする前に、「どうにかして、過失による被害を縮小させよう」「どうにかして過失の再発を防止しよう」と考えるようにしましょう。

このメールを出してから1ヵ月ほど経つ。まだ謝るのは苦手なようだけど、とりあえず、「しょうがない」とはあまり言わなくなった。