マルドゥック・スクランブル -The Third Exhaust 排気(冲方丁)

近未来SFハードボイルド小説最終巻。前半のカジノでの闘いに比べ、後半のアクションシーンはやや尻すぼみ。
前巻通読して、翻訳SFを読んだような読後感。しかし、この読後感は果たして好評価なのだろうか。日本人が日本語で書いた小説にそのように感じた理由は、物語の舞台が英語圏であり、固有名詞も英語系であるばかりでなく、日本語にもカタカナのルビが多くふられているせいである。「良質のSF」=「英語圏で書かれている」との経験的なすり込みがなされているが故に、良質のSF的な雰囲気を醸し出しているのだろうか。
勿論、日本人が日本語で日本を舞台にして書かれている良質なSFも沢山ある。筒井康隆の一連の作品しかり、星新一しかり、夢枕莫しかり。中学生時代に『神狩り(山田正紀)』を読んだ時には、快哉を叫んだものだ。しかし、これら日本のSF小説で、海外でも高評価を受けているものはほとんどない。翻訳出版されているものが少ないせいであり、評価が低いこととは直結しないのだが、評価が高いと証明されているわけではないのだ。
現代日本人心理の根底にある劣等意識、奴隷意識を大前提とした場合、本作の手法は間違っていない。英語圏を舞台にし、ネイティブ並とは言わないまでも英語を駆使することにより、クールな感じ、サイバーな感じを上手く演出している。とは言え、一日本人として考えた場合、そこに誇りの無さを感じるのは考えすぎだろうか。
本作を英訳して、英語圏で出版して欲しい。ハリウッド映画的な内容である本作を、ハリウッド映画化して欲しい。
現代日本SFの普遍性、実力をそのようにして問いたい。