Responsibility

暗い夜道を歩いていた女性がレイプされたとしよう。悪いのは誰か。

  1. 街灯を設置しなかった行政
  2. 警戒心の無かった女性
  3. 婦女暴行犯

無論、婦女暴行犯だ。しかし、いきおい余った怒りは、行政を批判し、興味本位な第三者は被害者の責任さえ問う。
では次の場合はどうだろう。

  1. 日本人を拉致した朝鮮民主主義人民共和国
  2. 拉致された無防備な日本人
  3. 今まで返還交渉に失敗してきた日本政府

当然、朝鮮民主主義人民共和国なのだが、これまた、遺族はやり場のない怒りを政府にぶつける。転嫁行為ではないか。また、その尻馬に乗って、政府批判を始める文化人や政治家もいる。
行政の責任や、被害者の自意識、周辺環境を問うのも再発防止策として有効かも知れない。しかし、まずはその行為の主体に対して憤り、責任を問うべきである。
さて、今日、通りすがりのパチンコ屋の駐車場に
「車内に子供を置き去りにしないでね」
との看板があった。幼児置き去りに起因する死亡事故などが多発したことに対するパチンコ屋の自衛行動なのだろう。
しかし、もし、そんな事件があったところで、果たしてパチンコ屋に責任があるのだろうか。当然、置き去りにする親に全ての責任がある。パチンコ屋は善意によってその看板を設置したのかも知れない。しかし、その優しさは正しいのだろうか。
その労力は、親に根本的な責任を自覚させる方向に用いるべきだと思う。
好意によって、責任を曖昧にしてしまってはならない。