Nothing costs so much as what is given us.

「ただより高いものはない」は警句として用いられる。奢ってもらったり、ただでものを貰ったりしたらそれよりも多くのお返しをしなければならない羽目に陥ることが多いからだ。
でも、これを逆に考えよう。すなわち、「全額支払うよりも安上がりなものはない」だ。これを経験的に知っているから賢い男や先輩や上司はこれを実践する。
さて、これだけではただの論理ゲームだが、次に述べることは私の経験則。
他人に奢ったり、施したりする時には必ず全額施さなければならない。割り勘にするのならばそれはそれで良い。しかし、一番してはならないことは、傾斜配分して支払わせることだ。「少しだけでも払いますから」と言われて少しだけでも支払わせてしまったら、「少しでも支払ったから」を免罪符として、相手の記憶から感謝が忘却されてしまうのだ。
例えば、二人で6000円の食事をしたとしよう。ここで相手に1000円でも支払わせたら、例え自分が5000円支払っていたとしても相手に呵責はおきない。すると割り勘に対して2000円余分に払っているにもかかわらずその経済効果は0である。それくらいならば奢りと割り勘を交互に繰り返す方がはるかに効率がいい。
何らかの労力提供に対しても同様のことが言える。実費だけならばまだしも、わずかでもそれに労賃を含めさせたら、相手に「一応は自分も支払った」との意識が働き、呵責がなくなる。それならば労賃はもとより、わずかならば実費すらも請求しないほうが相手も恩を感じ、別の形で返ってくる可能性が高いのである。
一見無欲なこの手法が結果的にはもっとも利潤を生む。短期的な強欲は「吝嗇」「けち」との負のイメージを持たせてしまうことも含め、結局は大損なのである。
「ただより高いものはない」ゆめゆめお忘れなく。
言い忘れていたが、その価値のある相手だけに好意を与え、施したりすることが最も肝要なのは言うまでもない。