Generation

70才を過ぎている方の論文をチェックした。その方は、東大出身で、博士号も技術士も取得しているのだから、修士号しか持たない私が口を挟むのもおこがましいのは重々承知している。とは言え、自分では気付きにくいケアレスミスくらいは指摘できるし、他人の視点は、推敲の一助となるだろう。
ところが、読んでいて感じる違和感の大部分は、技術的な話ではなく、世代性に起因するものだ。文語的な仮名遣い、カタカナ語の表記方法などの表層的な部分に始まり、構文の作り方、章立てにまで違和感を感じる。論文のテーマ自体についてすら時代性を感じる。小手先の改変でこの違和感を解消するのは無理だ。多分に、論文の背景にある思想や知識が異なるのだ。大時代的な論文が悪いとは言わないが、新進の読者に対する訴求力は低い。論文執筆の目的が自慰的行為であればそれでもいいが、後進の者達への遺産のつもりならば、今時のスタイルにするが吉である。
などとつらつら考えていたら、自分もファッションの話で良く若い娘さんと言い争っていることに思い当たった。「シャツの裾をズボンに入れるな」「セーターを肩や腰に巻くな」「ジーンズの裾が短い」等々。いくらこちらが正当性を主張しても、互いの主張は交わらない。しかし、ファッションの目的は「他人に良く見られる」ことではなかったのか。自分の成功パターンに固執するあまり、流れから外れては居ないか。もちろん、自分が好きな格好をすれば良いのだが、他人に眉をひそめられるほどこだわるものでもあるまい。人は好むと好まざるとに関わらず、時間の流れとは無縁でいられないのだから、アップデイトが大切だ。
ファッションやスタイルの話で世代間格差を感じたら、必ず若い者の言うことを尊重しよう。もちろん、その若者が信頼できる場合に限るのだが。