The Road to "The Lord of the Rings"

三つの指輪は、空の下なるエルフの王に、
七つの指輪は、砦の館のドワーフの君に。
九つの指輪は、死すべき運命(さだめ)の人の子に、
一つは、暗き御座の冥王のため、
影横たわるモルドールの国に。
一つの指輪は、すべてを統べ、
一つの指輪は、すべてを見つけ、
一つの指輪は、すべてを捕えて、
くらやみのなかにつなぎとめる。
影横たわるモルドールの国に。

こんな台詞を暗唱するくらいに、『指輪物語(J.R.R.トールキン)』が好きだった。高校生の時に初めて接し、大学、大学院の時に読み返し、最近では、ほぼ一年前に骨折で入院した際にも読み返した。また、指輪エヴァンジェリスト(伝道師)として、何人かに布教活動もした。
今まで、関連商品や資料はとても少なく、おたく心を満たすことが出来なかった。高校の頃には、中つ国の地図が付いているTRPG指輪物語』が欲しくてたまらなかったが、月の小遣い5000円では決断できず(基本セットが1万円近くしたのだ)、泣く泣くあきらめた覚えもある。
そんな指輪物語が、映画として作られるのは、嬉しいはずだし、関連商品が沢山出ているのも喜んでしかるべきだろう。
しかし、それなりの財力がある今、本屋に関連書籍が沢山ならんでいても、食指が動かない。いや、正確には、まったく動かないわけでもないのだが、「買うもんか」との反動的な意地が勝る。メジャーになると興味を無くすおたく的偏狭さが自分にもあるのだなあ、と納得してしまった。商業主義に乗せられるものか、との意地もあるのだろう。
思えば、指輪物語は、その敷居の高さによってこそ孤高の輝きを放っていたのだ。大衆の愛玩物となり、愛着は薄れた。流行ったものは、必ず廃れる運命にある。「指輪物語が好き」との嗜好が陳腐化する日をおそれるが故にこそ、ブームに乗れない。
ありがとう、そしてさようなら、指輪物語
#なんてこと言いながら、映画見たら感想変わるかもね...。また、行ったらレポートします。