Inheritance

一目惚れの存在を信じない人でも遺伝の存在は信じるだろう。
ホワイトデーの今日、10才違いの弟から送られてきた宅急便を受け取った。その宛名を見て、自分の字と見間違えた。「やはり兄弟だな...」と独りごちたが、果たして、筆跡は遺伝するものなのだろうか。確かに弟とは、身長や体重の成長曲線、顔立ち、視力など身体的特質のみならず、趣味や嗜好もよく似ている。
身体面での類似は遺伝の面から、趣味や嗜好などの類似は遺伝+生育環境の面から説明可能だろう。
しかし、「字を書く」と言う能力は後天的に獲得(習得)した能力であり、生物的遺伝の影響と関連付けにくい。「兄の筆跡をよく見ていて、無意識のうちに似せた」との可能性もあるが、弟8才の時に私が家を出、私が家に帰ってきた時には弟は大学に進学して家を出ており、私の筆跡にふれる機会がとても少なかったことを考えると、説得力が低い。
ちなみに、私と弟以外の家族の筆跡は似ていない。
また、良筆ならば、ある程度説明も付くかも知れない(良筆の到達点が一つであると仮定すれば、良筆に近付くにつれ、筆跡は収束するであろうから)が、悪筆たる兄弟である。悪筆の種類は限りなくあるだろう。
演繹的な説明はこの際あきらめよう。「私と弟の筆跡の相関が高い」を真であるとした場合、帰納的に出てくる結論は「筆跡は遺伝との相関が高い」だ。
素晴らしい結論である。これから私と弟は悪筆への劣等感や罪悪感から開放される。
なぜなら、我々の悪筆は遺伝によるやむにやまれぬものであり、個人の責任によるものではないのだから。